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高校2年生〜新チームではキャップテンになるも大ブーイング。

 
 
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カメラマン つぅ
都築加奈恵(つづき かなえ)1983年大阪府生まれ。 カメラマン 元実業団のソフトボール選手。 主婦、OL、女性起業家、、など 「全ての女性をシンデレラストーリーに導くカメラマン」として、 プロフィール写真やヌード撮影、七五三撮影・セミナー・イベント撮影などポートレート中心の撮影を行う。
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長いなが〜い自己紹介記事。

 

前回までの記事を読んでいない方はこちらから読んでみてください!

 

幼少期のころから中学生(前半)までの人生。

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中学校(後半)〜京都の強豪校に進むまでの一番イケテナイ人生はこちら

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いよいよ高校に入学して本格的な練習が始まる人生はこちら

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初めてのインターハイから、新チームへ

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怒られてもいいから、自分のやりたいことはやり通す

 

私って本当に、絶対に「自分がやりたい!」と思ったことはやりたい人間です。

 

たとえ、それが絶対に怒られる・失敗するとわかっていても。笑

 

それって、今も変わってなくて、90%失敗するとわかっていても残りの10%に期待してやってしまいます。

 

人が常識的に思っていることに対しての反発心みたいなものが、なぜか心の中にずっとあります。

 

そんな私ですが、高校2年生の時期は本当にいい経験をたくさんさせてもらいました。

 

数々の実績 インターハイ準優勝 アジア大会準優勝など

 

2年生のころは本当にたくさんいい経験をさせてもらいました。

 

  • 春の選抜大会出場
  • 夏の岐阜インターハイ準優勝
  • 富山国体ベスト8
  • 日本代表としてアジア大会準優勝

 

思い返せば、大会前には数々のドラマがありました。

 

春の選抜大会

 

春の選抜大会は、東京の江戸川球場で、砂吹雪がめちゃくちゃすごかったんです。

 

前の試合が中断ばかりで、午後からの試合予定が、結局試合開始が17時ごろで、ナイター照明の中、試合したのを覚えています。

 

慣れないナイターに、まだまだ砂吹雪がすごくて、鼻の穴が真っ黒になりながら試合しました。

 

結果試合に負けてしまいました。

 

とにかく大変だったって記憶しかありません。笑

 

負けたんだけど、私たちは選抜に出場すると「ディズニーランド」に連れっててもらえるっていう約束があったんですね。笑

 

私はそれまで一回も行ったことがなかったので、本当に楽しみで、ちょっとの時間だったけど、すごく楽しかったです。

 

お土産はドナルドの小さいゴミ箱を買って喜んでました。笑

 

夏の岐阜インターハイ

 

三年生夏の最後の大会。

 

私は2年生でしたが、チームのリーダーとして、キャプテン・副キャプテンと同じように一緒に行動して、いっぱい相談して悩みました。

 

でも、それよりも、もっと3年生だけで集まって、私たちが知らないところで何回も何回もミーティングをしてたように思います。

 

チームの問題が山積みの中始まったインターハイ。

 

一回戦からかなり苦戦していて、私は試合中に、空を見上げて「あーまた一回戦で負けるんやー」って思ったことを覚えています。

 

その直後に、ベンチの監督から、「都築!!どこ見とんねん!!」って怒られたこともはっきり覚えてます。笑

 

そして、この試合ではとっても不思議な体験をしました。

 

試合の終盤1点差で負けてる場面で、2アウトランナー2塁で私に打席が回って来たのです。

 

4番がキャプテンの先輩で、5番が私でした。

 

4番の先輩がピッチャーゴロで倒れてからの私の打席。

 

正直、キャプテンが打たなかったから「もうあかんやん」とがっかり落胆してました。

 

だけど、この打席で不思議な体験をします。

 

インターハイって応援がものすごくて、周りの指示の声って聞こえにくいんです。

 

そんな中、ピッチャーが投げたボールがすごくスローモーションに見えて、同時に監督からの「ひじ張れ!」って声だけがはっきり聞こえました。

 

そのボールを打って、センター前ヒットになり、同点に追いついたんです。

 

あれがZONEに入った時の感覚なんだろうなって今でも鮮明に覚えています。

 

結果、チームは波に乗って、勝つことができました。

 

その後も毎回ヒーローが変わり勝ち続ける

 

一回戦を突破して、2回戦3回戦と勝ち進み、準決勝、決勝、と来ることができました。

 

誰か一人飛び抜けた選手がいるわけじゃなく、毎回の試合ごとに、ヒーローが変わっていって、本当にチーム全員が活躍した大会でした。

 

どのチームよりも長く試合をすることができたので、本当にいい経験でした。

 

富山国体 ベスト8

 

はじめての国体。

 

いつもは敵同士のチームの人たちと仲間になって戦うってとても新鮮な気持ちで楽しかったです。

 

何回も合同練習して合わせて、自分のチームの常識ややり方と、他のチームの常識とやり方が違うこともすごく新鮮だったし、お祭り見たいでワクワクしてました。

 

監督もいつもと違って若干優しかったし。笑

 

優勝狙ってしましたが惜しくもベスト8。

 

2年生のころから体験させてもらって本当にいい思い出。

 

アジア大会 準優勝

 

インターハイ準優勝した結果、アジア大会にいけることになり、インドまで試合をしに行きました。

 

何より衝撃だったのが、インドという国の雰囲気や日本の常識との違い。

 

日本では体験できないことをめっちゃ体験しました。

 

オープニングセレモニー8時間まち。一向に進む気配がない。

 

道路もガタガタ。バスが止まっていると物乞いの人たちが寄って来る。

 

トイレの前に人がいて怖い。紙もない。基本は手でふく。

 

昼間からお風呂に入ってるし、そこいらでお祈りしてる。

 

現地のインドカレーはめっちゃまずかった。笑

 

料理はナンもグリーンカレーも全然口に合わなくて、部屋で日本から持ち込んだカップラーメン食べてました。

 

体調管理が本当に大変。約10日間の長旅でした。

 

絶対二度と行きたくない国。笑

 

肝心の試合は台湾に負けて準優勝。本当は勝てそうな相手だっただけに本当に悔しかった。

 

あと、私の一個下の後輩がベストナインに選ばれて本当に悔しかった。←のちの北京オリンピックで金メダル獲得する後輩。

 

「そんなに活躍したか!?」って思ってたし、いまだに謎。笑←ひつこい。笑

 

なんで私じゃないねん!ってね。当時から負けず嫌いでした。

 

本当にたくさんの経験をさせてもらった2年生の時期

 

いっぱい揉めたし、いっぱい喧嘩もしたし、いっぱい怒られたし、本当に大変な時期だったけど、今思い返してもいい思い出しかないです。

 

大変だったからこそ、いっぱい学べたし成長できたと思います。

 

先輩や監督たちには、感謝しかないです。

 

そして、いよいよ、3年生も引退し、私の代になります。

 

またまたここから、大変な1年のスタート。

 

何回死にたい・・・って思ったことか。

 

私たちの新チームが始まる

 

高校三年生になって、新チームがはじまる時に、監督から「今年は「都築でいく」(キャプテン)ってミーティングで発表されました。

 

それまでも、チームのリーダーとして動いていました。

 

だけど、先輩がいたから、甘えてる部分がたくさんあったし、キャプテンになった当初は本当に大変でした。

 

なぜなら、それまでは、散々自分勝手に自由にやっていたから。

 

同級生も色々と我慢してたんでしょうね。

 

キャプテンになった時に、同級生から「都築がキャプテンなんてついていけない」って言われてました。

 

それぐらい私は、ソフトボールのプレイ面では結果を出していたかもしれませんが、私生活の面では最悪だったんですね。

 

「人としてついていけない」って思われいたんだと思います。

 

今考えても正論です。

 

本当に好き勝手にやっていたので。

 

私自身も、初めはすごく甘えた考えがあって、

 

  • 人の上に立ちたくない
  • キャプテンなんて嫌〜〜
  • 好きなようにやっていたい
  • 人の面倒みるなんてめんどくさい
  • 自分のプレーだけに集中したい

 

そんな風に強く思っていました。

 

人としての基本が個人プレー

 

自分がキャプテンなのに、色々面倒なことはやりたくなくて、副キャプテンにほとんど任せていました。

 

そんなことしていたら、結構おとなしめの優しい副キャプテンに、「都築がキャプテンやねんからちゃんとしてや!(゙ `-´)/」とめちゃくちゃ怒られました。

 

初めて、人から真剣に怒られて、ハッとして「ちゃんとせな!!!」って気合いが入ったのです。

 

そこから、今までの思考も行動も全て捨てて、私は変わりました。

 

心の底から「誰にも何も言わせない!!!」と決めたので、チームに関わるすべてのことを把握し、徹底的にリーダーシップを発揮するようにしました。

 

全部の指示を出すし、動きまくりです。

 

全て先回りして、徹底して行動するようにしたら、だんだんみんなが認めてくれるようになりました。

 

自分で意識してチームの為に動いて、ちょうどいい感じだったみたいです。

 

それまでの自分がなんにもやらな過ぎたのが大きかったと思うんですけど。

 

でも、そうやって徹底的に動いたら、結局は自分も楽だし、楽しくできたんですよね。

 

この経験があったので、今でも自信になってます。

 

赤学年は魔の学年

 

私の学年はソフトボール部が始まって、29代目。

 

高校って学年で、色分けされてませんでしたか?

 

私は「赤」の学年だったんです。

 

スリッパとか、名札とか、体操ジャージとか赤だったんですね。

 

ソフトボール部29年続いていて、赤学は、「インターハイに出場出来ない」というジンクスがあったんです。

 

青と緑はインターハイに行ってるんですけど、赤だけなぜか負ける。

 

そんな風に言われていた中、春の選抜大会を迎えました。

 

京都府では優勝したんですが、京都と滋賀の優勝校が対戦して勝ったチームが選抜大会に行く年でした。

 

京滋大会があって、それで負けたんです。

 

結果、他の先生方や周りから「やっぱり、赤は、アカン!!」と散々言われました。

 

昨年、インターハイで準優勝してるだけに、自分としてはかなりプレッシャーでした。

 

なんとかしたいという気持ちと、「やっぱり赤はだめなのかな〜」と弱気になる自分がいました。

 

人間性をとことん詰められる

 

監督には人間性のことをとにかく詰められました。

 

キャプテンの在り方を監督から徹底的にしごかれて、でも

 

  • わからない
  • 出来ない
  • 選手からの人望もない

 

という状況で、本当にどうしたらいいのかわからなくて、「死にたい・・・」って毎日思ってました。

 

私は自分の力でなんとかなることは頑張れるんだけど、人が関わることは本当に難しくて大嫌い。

 

自分のプレイ面で怒られるなら、自分が頑張ればいいんだけど、人を引っ張るとか人を動かすっていうことが本当にわからなくて嫌でした。

 

それが出来ない自分はめちゃくちゃ性格悪いやつだと思っていたので、本当に死にたかったです。

 

そんな感じで、日々精神的にも追い込まれ、不安をかかえたまま、夏のインターハイ出場に向けて頑張っていました。

 

インターハイ前の練習試合で大怪我!試合で出られない!?

 

インターハイ予選直前の練習試合で、私、大けがをしてしまいました。

 

怪我をした翌日に病院に行ったところ、左ひざの靭帯損傷。

 

病院で担当の先生から「インターハイ予選には間に合いません」と言われました。

 

その瞬間、「何のために三年間頑張ってきたんや・・・」と、泣き崩れたことを覚えています。

 

本当に絶望の淵に立たされました・・・

 

一緒に練習を休んで付いてきてくれた同級生もいたんですが、ほんとうに涙が止まりませんでした。

 

長くなったので、次の記事に続きます・・・

 

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